2018年11月29日

あの時、飯田橋で絶叫していた男は、何と戦っていたのか 1

飯田橋は活動場所の一つでした。一時期、飯田橋周辺で、ゲリラ的に登場して雑踏を騒がせていた数人の集団がいました。ある人はポスターを掲げ、ある人は拡声器を持って演説し、周囲でチラシを配る人が複数いました。そのようなやり方で活動する集団の中に、何を隠そう、僕が含まれていました。2009年10月から2010年3月までのことでした。

当時あった九段会館でイベントを開催するということで広報活動の一環でした。九段下を中心に神保町や神楽坂辺りまでが主要な活動範囲でした。飯田橋は当時好きだった女性が一緒に混ざって活動したことがあった唯一の場所で、とても思い出深い場所です。

九段下周辺の飲食店等を回って協力をお願いをしたこともありました。イベントの告知をするために店内のお客さんから見える場所にポスターを張らせてもらったり、チラシを置かせてもらったりしていたのです。実は、僕は広報活動のために他のメンバーの誰よりも早く九段下に現地入りした記憶があります。九段下駅に一番近い飲食店に、ポスターを張らせてもらったり、チラシを置かせてもらったりするために、お願いして回ったのは僕でした。

九段下に現地入りした初日に、僕は靖国神社の中にある遊就館を訪れました。いま思えば、遊就館で展示されている昭和以降の資料に登場する人たちが戦っていた相手と、僕が戦っていた相手は完全に同一でした。いまも同一です。そこまでの理解の深さは当時ありませんでしたけれども。

当時の記録の中に「(他のメンバーの一人)に27万借りる。」という記述を発見しました。2009年4月末に仕事を辞め専業で活動していましたから定期収入は無く蓄えを食い潰しながら活動していました。当時は結果を出す方法論が確立しておらず、しかもいまになって分かったことではありますけれども、他メンバー(お金を貸してくれた他メンバーとは別)の不正行為によって本来僕が得るはずだった結果を横取りされていましたから、結果に伴う収入もありませんでした。

客観的に言えば経済的に困窮して踏み入れてはいけない領域に踏み入れてしまったように見えるかもしれません。その後、借りた相手には「他の借り入れも含めて借用書をつくること」と「利子をつけて毎月一定額返済すること」を要求され、いまは完済したのですけれども、当時の僕としては「片道しか飛ぶことのできない燃料を積んで空に飛び立つ」覚悟を伴った行動でした。

あの時、飯田橋で絶叫していた男は、何と戦っていたのでしょうか。(続く)

 
posted by miraclestar at 00:30 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする