2020年07月23日

れいわ新選組の大西つねき氏の除籍処分はあまりに拙速で残念

れいわ新選組の山本太郎代表(45)が正念場を迎えている。16日、同党の総会が参院議員会館で開かれ、問題発言に批判が上っていた同党参院選候補者だった大西恒樹氏の処分が除籍と決まった。大西氏の問題発言とは、3日に配信された動画内で明らかになった。批判が集まっている部分は「命、選別しないとダメだと思う。はっきり言いますけど、その選択が政治。選択するのであればもちろん高齢の方から逝ってもらうしかない」という部分だ。「優生思想だ」との批判から「現実的だ」という擁護まで、同党支持者の中で様々な反応を呼んだ。山本氏の対応次第では支持者が分裂しかねない状況になっていた。(後略)

〈東京スポーツ 7月18日(7月17日 夕刊) 3面〉

この問題の発生を受けて、当初山本太郎代表は、寛大な処置
を検討し、大西氏の変化を見守る方針を公表していました。

ところが、報道によると急転直下で除籍になったの事でした。

大西氏が翌日の会見で明らかにしたところによると、たった
二回のレクチャーを行っただけの時点で、レクチャーの内容
が大西氏の意にそぐわなかった模様で、食い違いが拡大して、
そのまま除籍処分が決まってしまったそうです。

人の変化とは、長い時間をかけて達成されるものであるのに、
これではあまりに拙速で、残念と言うしかありません。


ここから先は、理解を確実なものとする為、落ち着いた環境
で、ゆっくり、じっくり読み進める事をお勧めします。


大西つねき氏は、自身のWebサイトで以下の様に述べています。

れいわ新選組から除籍を受けるまでの経緯についてご説明します。

私が問題の動画をYouTube Liveで配信したのが7月3日の午後8時からです。(中略)言葉が悪くて(中略)丁寧な説明を怠ったために、その一部だけが切り取られ、拡散されて騒ぎになりました。これを受けて、7月7日に党本部から呼び出しがあり、代表と面談しました。私はきちんと説明したい意を伝えましたが、「何を言っても言い訳になる。これは除名か謝罪、撤回しかない。」とのことで、私は謝罪と撤回を選びました。(中略)

レクチャーの内容は、14日がれいわ新選組の木村英子さんと当事者の方々とのお話、15日は難病を抱えた当事者の方との対話でした。いずれも有意義な時間だったと思いますが、私の発言はあくまでもご高齢者に関することで、障害や難病を抱えた方たちに対しては一言も言っていないため、これらをもって党が何を意図したか、私には不明です。恐らく、命の大切さについて私を教育してくださろうとしたのだと思いますが、私はこの流れでれいわ新選組に残ることはできないと思いました。

なぜなら、それは、私の思想に問題があり、それを2回のレクチャーという教育によって矯正し、人は変われるというところを見せて再出発というシナリオに思えたからです。恐らく代表は私にチャンスを与えようとして考えてくださったのだと思いますが、私の思想が本当に党が判断したようなものかどうかは、私の他の動画や著作、さらには講演会に足を運べばすぐにわかってしまいます。最初からその前提が真実ではないと私自身が思う中でそれに乗ってしまっては、私が自分自身に嘘をつくことになります。したがって、私は総会の前日、15日のレクチャーが終わった時点で代表に離党の意を伝え、離党届を提出しようとしましたが、受理されませんでした。

そして翌16日、改めて総会に離党届を持って参加しましたが、最終的には除籍という結果に終わりました。(後略)


〈大西つねきの公式サイト 7/17 大西つねき会見全文〉

会見全文は、この後、「謝罪を撤回した件」「今後について」
と続くのですが、さすが、と言うしかありません。自分より
20年近く人生を長く生きている上に、政治活動と言う密度の
濃い経験に裏打ちされた、一貫性のある緻密なイメージから
組み立てられた文章には、ほとんど反論の余地がありません。

ただ、上記引用文よりも前に書かれた内容、つまり、今回の
騒ぎの原因となった部分への説明には、若干の怪しさがみて
とれます。とは言うものの、その後に読む事になる一貫性の
ある緻密なイメージから組み立てられた文章によって、若干
の怪しさも忘れ去られてしまうのではないか、とも思います。



大西氏ご本人の説明を深く読み込む前に、もう一度、批判が
集まっている発言について確認してみましょう。

命、選別しないとダメだと思う。
はっきり言いますけど、その選択が政治。

選択するのであればもちろん高齢の
方から逝ってもらうしかない


前半の部分について、大西氏は、以下の様に述べています。

そもそも、全ての政治決断は命に直結します。何に予算をどれだけ組むか、それによって制度のと内と外が生まれ、制度に救われない可能性の人が出ます。どんな医薬品、農薬、添加物を認可するかによって、命の長さや質が変わります。また、どんな経済政策を取るかによって、国民の資産が例えば他国の軍費となり、たくさんの人を殺すかもしれない。朝鮮戦争やベトナム戦争で日本の基地から出撃した米軍がどれだけの人を殺したのでしょう?つまり、その影響範囲と時間軸を狭く短く取るから見えないだけで、政治家の決断は結果的に命の選別になる、そういう仕事であることをはっきり自覚してやるべきだ、ということです。

〈大西つねきの公式サイト 7/17 大西つねき会見全文〉

前半の部分については「なるほど」と思わせる説明が出来て
いるのではないかと思います。これはこの通りだと思います。

後半の部分について、大西氏は、以下の様に述べています。

私は、どうしても何らかの方策が必要なのであれば、高齢になれば死が近づくという自然の摂理にしたがって考えるべきではないか、と言っています。勿論これはただ年齢で分けるような単純な話ではなく、むしろ間違った財源論の問題を解決すれば、年金も十分払えるわけですから、好きなだけ健康で長生きしていただいて、最後に病気になられた時に、何がなんでも延命を続けるのではなく、医師のアドバイスに基づいて延命中止のための何らかのルールを作るなど、最後の出口を少しだけ緩めるということです。今はまずは延命措置が必要ですから、ご本人の意思がわからないままご家族がその責を負ったり、ご家族同士が一致しなかったり、無理な延命で尊厳を失ったりと、すでに色々な問題があるはずです。それを少しだけ、自然の摂理にしたがって緩和する必要があるのではないか、という話です。

〈大西つねきの公式サイト 7/17 大西つねき会見全文〉

なんか、ズレていると思いませんか。付け焼き刃の様な文章。



大西氏ご本人の説明を、最初から順に確認していきましょう。

問題になった、私の7月3日の自身の動画チャンネルにおける発言について説明させていただきます。

私の発言の真意は次のようなものです。これから少子高齢化が加速し、要介護者が遠からず1000万人を超えると言われている中、介護従事者の倍増は急務です。しかし、現状はお金の問題、つまり間違った財源論が原因で介護従事者の給与も安く、十分な従事者を確保できない状態になっています。だからこそ私は、この間違えた財源論による緊縮財政の呪いを打破するために、れいわ新選組の構成員として活動して来ました。


なるほど。

しかし、これは本質的にはお金の問題ではありません。もし我々が主張していたように、財源論の思い込みが外れ、お金がいくらでも作れることが理解されれば、上限はお金ではなく、それで動かせる人の時間と労力という「実体リソース」の有限性になります。少子高齢化で人口バランスがとてもいびつになる中、果たして十分な人材を確保できるのかどうか。また、お金の問題をクリアしたとしても、その時には他の仕事の給与水準も上がっています。他にも魅力的な仕事がたくさんある中、どれだけ介護の仕事に魅力を感じてもらえるのか。もし日本人労働者が足りなければ、海外労働者の受け入れ、またはAIやロボットによる介護などの選択肢もあるかもしれませんが、それでも結局は、それも含めた総労働力の配分となり、介護以外も食糧、エネルギーの自給や一定の外貨の確保、その他皆さんの生活に必要なあらゆる仕事がある中で、どこにどれだけ配分するかというのは、一面だけを見ては決められない難しい国家経営上の決断になります。

そうですね。

私は必ずしも悲観的ではありませんが、人の気持ちと未来はわかりません。もしかしたら、我々は苦渋の選択を迫られるかもしれない。その可能性を100%否定できるでしょうか?もしできないのなら、我々はそれについて考えておかなければならないと思います。その時に我々はどうするのか?ただ何もせず、現場と当事者に押し付け続けるのか?何かするのであれば、どんな考えに従って、何をどう行えばいいのか?

ふむ。

もちろん生産性や能力、ましてやナチス・ドイツが行った人種による選別などとんでもないと思います。私はそんなことは一言も言っておりません。むしろ、反射的にそんなことを連想する方が、私は差別と偏見に満ちていると思います。なぜなら、そこには、ご高齢者=生産性の低い人という決めつけが見て取れるからです。私はそもそも人を生産性で測れるとは全く思っていません。むしろ、生産性、つまり短期的にお金を生み出す能力、で序列を生み出す仕組みが今の金融システムであり、だからそれを変えようと10年近く活動してきたことは、私の著作や動画を見れば簡単にわかります。

そうなんですね。

私は、どうしても何らかの方策が必要なのであれば、高齢になれば死が近づくという自然の摂理にしたがって考えるべきではないか、と言っています。勿論これはただ年齢で分けるような単純な話ではなく、むしろ間違った財源論の問題を解決すれば、年金も十分払えるわけですから、好きなだけ健康で長生きしていただいて、最後に病気になられた時に、何がなんでも延命を続けるのではなく、医師のアドバイスに基づいて延命中止のための何らかのルールを作るなど、最後の出口を少しだけ緩めるということです。今はまずは延命措置が必要ですから、ご本人の意思がわからないままご家族がその責を負ったり、ご家族同士が一致しなかったり、無理な延命で尊厳を失ったりと、すでに色々な問題があるはずです。それを少しだけ、自然の摂理にしたがって緩和する必要があるのではないか、という話です。

ここです。この流れが唐突だと思いませんか。どうしてこの
様な文章を書くに至ったかについては後ほど考察してみよう
と思います。

もう一つ、今回の発言に至った背景をご説明すると、新型コロナの影響です。世界的に重症化リスクはご高齢者に特に高いというデータが出てきている中で、若い世代へのしわ寄せがとても大きいと感じています。緊急事態宣言は解除されましたが、「新しい生活様式」は我々の生活を一変させています。特に子どもたちの生活はかなり制限されていて、屋外で遊ぶことも友だちとおしゃべりすることも制限される例も聞いています。「子どもたちの命を守る」、「クラスターを防ぐ」などの意見もわかりますが、本当にこれで良いのでしょうか?

「高齢者」という発言に合わせて取って付けたのでしょうか。

例えばご心配なご高齢者には外出を控えていただき、生活に必要なスーパーなどでのご高齢者タイムゾーンを設ける、高齢者施設の対策を強化するなどして、その他は通常の生活様式に戻すというような案は考えられないでしょうか?それによって、確かに感染者数も増え、結果的にご高齢の死亡者数は増えるかもしれません。それは命の選別だからダメだと言われるかもしれません。しかし、このまま行けば、膨大な数の経営破たんと失業者を生み、もしかしたらその中で失われてしまう命は「新しい生活様式」によって選別されていないのでしょうか?また、仮に死を迎えなくても、子どもたちを始め、今を大切に生きる人たちの時間も命です。その人たちの時間の過ごし方も命の問題ではないのでしょうか?

時間の過ごし方については、良く発言していらっしゃいます。

私が「政治家が命を選別しなければならない」と思わず言ってしまったのは、このように命の選別になりかねない考えも恐れず発信し、場合によってはそれに賛同する人々の負託を受けて、代理人とし実行する仕事であるということです。それを政治家が尻込みしていて、他に誰ができるのか、と言う話です。

そうですね。政治家の決断は結果的に命の選別になる、現実
があるのですね。

そもそも、全ての政治決断は命に直結します。何に予算をどれだけ組むか、それによって制度のと内と外が生まれ、制度に救われない可能性の人が出ます。どんな医薬品、農薬、添加物を認可するかによって、命の長さや質が変わります。また、どんな経済政策を取るかによって、国民の資産が例えば他国の軍費となり、たくさんの人を殺すかもしれない。朝鮮戦争やベトナム戦争で日本の基地から出撃した米軍がどれだけの人を殺したのでしょう?つまり、その影響範囲と時間軸を狭く短く取るから見えないだけで、政治家の決断は結果的に命の選別になる、そういう仕事であることをはっきり自覚してやるべきだ、ということです。

影響範囲と時間軸を充分広く長く捉える事が出来れば、政治
家の決断は結果的に命の選別になる、と言う現実を認めざる
を得ないですね。

もっと言うと、皆さん一人ひとりの決断と行動も命に直結します。この世にゼロリスクはありませんから、車に乗るにも、飛行機に乗るにも、外を歩くにも命はかかっています。我々が海外から食糧や衣服を安く買い続けた結果、児童労働で海外の子どもたちの命が脅かされ、バングラディッシュの縫製工場の悲惨な事故で命が奪われたりもします。食肉文化によって、絶滅危惧種の動物を守りながら、別の動物の命を選別していたりもします。つまり、我々はみんな少しずつ命を危険に晒し、他の人や動物の命を脅かしながら、自分の時間、すなわち命を削りながら生きています。それが我々の生活のリアルであり、その相関性や複雑性が見えてきたら、どんなリスクを取ってどんなリスクは取らないのか、その取捨選択も冷静にできるようになる。そうすれば、このコロナのようなことが起きた時も、取捨選択の話ができるようになり、最終的に自分たちで自分たちの生き方、死に方を決めることができる。皆さんが選別するということは、その代理人の政治家が選別するということです。それで不安を感じるのだとすると、我々が我々自身を信じていないということになります。今回の発言はそういった意味も含んでいます。

以上、あまりにも不適切で説明不足だったため、改めてご説明いたしました。


〈大西つねきの公式サイト 7/17 大西つねき会見全文〉

色々な枝葉を付けて文章を膨らませる語彙力が凄まじいから、
話の筋が埋もれて、分かりにくくなっているのですけれども、
ついうっかりしてしまった発言に合わせて、発言を無理矢理
正当化する文章を組み立てようとした試みにも見えて来ない
でしょうか。



命、選別しないとダメだと思う。
はっきり言いますけど、その選択が政治。

選択するのであればもちろん高齢の
方から逝ってもらうしかない


何が間違っていたか、結論を申し上げましょう。前半部分は、
批判の対象になりやすいですが、現実に深く向き合えば認め
ざるを得ない真実かもしれません。ただ必ず選別しなければ
ならないのか、と言えば、それはNOかも知れません。選択せ
ざるを得なかったのがこれまでの政治。なのかも知れません。


では、それ以外の選択は有り得ないのでしょうか。


ここまで明らかになってくれば、別の問題が浮上してきます。
後半部分で、「選択するのであれば○○」の、○○の部分に
「高齢の方」を当てはめた理由とは、何だったのでしょうか。

大西氏は○○の部分に特定の人種を当てはめたわけではあり
ません。特定の民族を当てはめたわけでもありません。もち
ろん、れいわ新選組を通して接する機会のある人たちを当て
はめる事等、決してし無かったのですけれども、「高齢の方」
を当てはめる事が出来た理由は何だったのでしょうか。



もう一度、大西氏の説明を読んでみましょう。

(前略)私の発言の真意は次のようなものです。これから少子高齢化が加速し、要介護者が遠からず1000万人を超えると言われている中、介護従事者の倍増は急務です。しかし、現状はお金の問題、つまり間違った財源論が原因で介護従事者の給与も安く、十分な従事者を確保できない状態になっています。だからこそ私は、この間違えた財源論による緊縮財政の呪いを打破するために、れいわ新選組の構成員として活動して来ました。

しかし、これは本質的にはお金の問題ではありません。もし我々が主張していたように、財源論の思い込みが外れ、お金がいくらでも作れることが理解されれば、上限はお金ではなく、それで動かせる人の時間と労力という「実体リソース」の有限性になります。少子高齢化で人口バランスがとてもいびつになる中、果たして十分な人材を確保できるのかどうか。また、お金の問題をクリアしたとしても、その時には他の仕事の給与水準も上がっています。他にも魅力的な仕事がたくさんある中、どれだけ介護の仕事に魅力を感じてもらえるのか。もし日本人労働者が足りなければ、海外労働者の受け入れ、またはAIやロボットによる介護などの選択肢もあるかもしれませんが、それでも結局は、それも含めた総労働力の配分となり、介護以外も食糧、エネルギーの自給や一定の外貨の確保、その他皆さんの生活に必要なあらゆる仕事がある中で、どこにどれだけ配分するかというのは、一面だけを見ては決められない難しい国家経営上の決断になります。

私は必ずしも悲観的ではありませんが、人の気持ちと未来はわかりません。もしかしたら、我々は苦渋の選択を迫られるかもしれない。その可能性を100%否定できるでしょうか?もしできないのなら、我々はそれについて考えておかなければならないと思います。その時に我々はどうするのか?ただ何もせず、現場と当事者に押し付け続けるのか?何かするのであれば、どんな考えに従って、何をどう行えばいいのか?(後略)


〈大西つねきの公式サイト 7/17 大西つねき会見全文〉

大西氏にとって、この問いに対する答えは、「出せない」と
言う結論が本当のところ
なのでしょう。それを認めずに無理
をして答えているのが次の文章ではないでしょうか。

私は、どうしても何らかの方策が必要なのであれば、高齢になれば死が近づくという自然の摂理にしたがって考えるべきではないか、と言っています。勿論これはただ年齢で分けるような単純な話ではなく、むしろ間違った財源論の問題を解決すれば、年金も十分払えるわけですから、好きなだけ健康で長生きしていただいて、最後に病気になられた時に、何がなんでも延命を続けるのではなく、医師のアドバイスに基づいて延命中止のための何らかのルールを作るなど、最後の出口を少しだけ緩めるということです。今はまずは延命措置が必要ですから、ご本人の意思がわからないままご家族がその責を負ったり、ご家族同士が一致しなかったり、無理な延命で尊厳を失ったりと、すでに色々な問題があるはずです。それを少しだけ、自然の摂理にしたがって緩和する必要があるのではないか、という話です。

〈大西つねきの公式サイト 7/17 大西つねき会見全文〉

この答え方が、これまで、何かしらの著作や動画内での発言
を通して、繰り返し述べられて来ている答え方なのか、今回
初めて出て来た答え方なのか、そこまで詳しくは知りません。

しかし、残念ながら、「高齢の方」と深く向き合った経験が
ある人間から出て来る考えとは言えない、「浅い考えだ」と
言わざるを得ない
のではないでしょうか。

 
posted by miraclestar at 19:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする