2012年11月24日

僕がNR JAPANという会社を創った理由 6.4.2 - 船出の背景にあったもの(4.2/4)

先日から
 僕がNR JAPANという会社を創った理由
というテーマについて書き綴っています。

実は僕は、2年間の大学院生活が終わり、卒業が確定したその直後に、突然無職の状態で社会に放り出されてしまった経験があるのです。卒業と同時に目標を失い、精神的に崩れ、実家に戻った僕は、「今すぐ就活しろ」と責め立てられ、就職活動を始めました。いろいろ受ける中で「これぞ本命」と思える会社に出会えたのですが、エントリーしても音沙汰なしでした。そんな中、暇つぶしくらいの気持ちで参加した適職フェアで、その後就職する会社に出会うのです。

そこの会社は、あるITコンサルティング会社のメンバーが立ち上げた、製造業向けエンジニア(技術者)派遣サービスを営んでいる会社でした。コンサルティングサービスだけでは、せっかくの提案も定着に至らない という問題を解決するために、改善提案とセットで日常業務への定着を図るエンジニアも派遣できるような会社を作ろう ということで立ち上げた会社だということでした(最初ちょっと話を聞いただけではそこまでピンとこなかったのですけど、仕事をしていくうちに理解するようになりました)。派遣会社ではあるけれども、きちんと派遣元の会社の正社員として採用し、エンジニアとしてスキルアップしていけるような教育も惜しみなく行い、複数の会社の様々な現場の業務を(転職を繰り返すことなく)経験することができるので、着実にキャリアアップし、市場価値を上げていくことができるとのことでした。しかも、エンジニアとして大成した暁には、自分のやりたいこと、つくりたいものをつくること、夢を実現していくことができるんだという触れ込みでした。

自分としては、今度こそは、「もうこれ以上、ITの分野で仕事をするのはご免だ」 と思っていましたし、今後モノづくりが流行るとはとても思えませんでしたし、せっかくなら大学院で学んだ環境問題に関われる仕事がしたいと思っていたのですけど、それでもそこに入社を決めたのは、社長や幹部社員と面談したとき、何か通じるものがあったからなんですよね。

実は僕は、大学院の研究室の中でも、若干異色の研究に取り組んでいたのです。僕の所属していた研究室は、工学的アプローチと経済学的アプローチを組み合わせて、環境問題の解決を、特にエネルギー問題・二酸化炭素の排出に伴う地球温暖化の問題を解決していく可能性を探り、シナリオを提示したり、政策提案をしたりする研究室でした。僕がいた2004年当時は、京都議定書をロシアが批准し、2005年2月16日の発効に向けて動いていった年であり、盛んに議論が行われておりました。研究室でも京都議定書に関連した研究テーマが数多く提出されていたんですね。

この京都議定書というものが何なのか、名前だけは聞いたことはあるけど、中身を知らないという人が多いと思うんですけど、温室効果ガス(特に代表的なのが二酸化炭素)排出を減らしていきましょう、という国際的な約束事を決めた条約のことです。よく「二酸化炭素(CO2)を減らしましょう」「これによって二酸化炭素が○パーセント削減できます」みたいな広告や掲示を見かけると思いますが、これらは京都議定書からきているものなのです。

ところで、この京都議定書というものの中には、植林活動や、排出量の国家間取引などによって、温室効果ガスの削減をより容易にするための規定が盛り込まれており、「自分のところで削減しなくてもお金を払えば削減したことになる」という仕組みがあるのです。これにはいろいろな問題が含まれていて、「お金を払えば削減したことになるから、それでいいのか」というそもそも的な問題はもちろんあるのですけど、途上国にゆるいなど、穴がいっぱいあるんです。

この京都議定書というものは、「モノを作り続けざるを得ないという人間の欲望の暴走はどうやら止められそうにもない」というあきらめを前提として、その中で「少しでも問題の進行を食い止める妥協のラインを探っていこう」とする鎮痛剤的なシロモノなのです。だから「地球温暖化防止に役立つ研究」と言っても、注目する切り口以外の部分を捨象して、その切り口の中だけで物事を議論するという、「地球温暖化防止の方向にちょっとでも進むための研究」になってしまいがちなんですよね。ところが、僕はあきらめたくなかったんです。

僕は注目する切り口以外の部分を捨象して、切り口以外の部分を一定の理想状態で置き換えて、"それらしい" 枠組み・フレームワークを提案して終わるんじゃなくて、環境問題を解決する技術が、住民の支持を獲得して、市場で優位に立って、経済的にも成り立つ事業の実体・中身を作っていく必要があると思っていたのです。

研究者として生きていくだけだったら、何もそこまで真剣に考えなくてもいいんです(そんなこと言ったら怒られちゃいますかね)。なぜならば、「研究として形になること」が満たされて、論文を書き研究発表をし、学会というある一定の閉鎖的な集団の中で認められて地位を築くことができれば研究者としてとりあえず生きていくことはできるからです。わざわざ「住民の支持を獲得して」「市場で優位に立って」「経済的にも成り立つ」レベルまで到達し、「事業の実体・中身を持つこと」まで満たされる必要はないわけです。(むしろ「その制約がないからこそ自由な発想で新しい提案ができるのであって、それこそアカデミックな分野が担う役割なんだ」と、指導教授はそのように教えてくれました)

大学院生という、住民の支持や市場での優位や事業の実体・中身まで考えなくてもとりあえず論理的に整合性が取れていて形になれば許されるという立場を得たにもかかわらず、あえて住民の支持や市場での優位や事業の実体・中身まで考えることにこだわった(今思えば生き急いでいたんだな)背景には、少なからず責任感というか、使命感みたいなものがあったと思うんですよね。

それは日本で一番多額の税金が投入されている教育機関に通って教育を受けてきたからにはその投資に相応しい還元を社会に対して成さなければならないという使命感であったり、祖父や父親の生き方を身近に感じることを通して培われた これまでの日本の礎を作ってきたんだ という感覚からくる責任感だったりするわけです。

大学院を卒業した後に始めた就職活動で、入社を決めた会社の社長や幹部社員と面談したときに感じたのが、この責任感というか、使命感みたいなものだったわけです。この責任感や使命感を持った人同士が通じ合うレベルで話ができたことが、最終的に入社を決めた理由でもあるし、採用が決まった背景でもあると思うんです。

  
posted by miraclestar at 08:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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